遺伝学的検査に関するガイドライン

2011年2月に新たに,日本医学会 医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドラインが発表されています.

遺伝医学関連学会

日本遺伝カウンセリング学会
日本遺伝子診療学会
日本産科婦人科学会
日本小児遺伝学会
日本人類遺伝学会
日本先天異常学会
日本先天代謝異常学会
日本マススクリーニング学会
日本臨床検査医学会
(以上五十音順)
家族性腫瘍研究会

平成15年8月
はじめに

細胞遺伝学,遺伝生化学および分子遺伝学の進歩は遺伝医学の発展に多大な貢献をもたらした.その結果,医療の現場においても,染色体検査・遺伝生化学的検査・DNA検査などの遺伝学的検査が臨床検査の一部として利用されている.これらにより明らかにされる遺伝学的情報は遺伝性疾患の診断,治療,予防,遺伝カウンセリングなどに貢献し,今後益々重要になってくるものと予想される.

一方で,遺伝学的検査においては,生涯変化しない個人の重要な遺伝学的情報が扱われるため,検査実施時のインフォームド・コンセント,個人の遺伝学的情報の保護,検査に用いた生体試料の取り扱い,検査前後の遺伝カウンセリングなど慎重に検討すべき問題が存在している[1,2,3].また個人の遺伝学的情報は血縁者で一部共有されており,その影響が個人に留まらないという際立った特徴も有していることから,新たな生命倫理規範が求められている.さらに最近では,遺伝医学的知識及び分子遺伝学的技術基盤が不十分であり,責任体制が不明瞭であるにもかかわらず,臨床的意義が確立されていない遺伝学的検査を行おうとする医療機関や企業があらわれ,社会的混乱をきたすことも憂慮されている[4].[注1]

すでに,ヒトゲノム研究の急速な進展とその成果の応用の可能性の拡大を背景にして,基礎研究及び臨床研究のレベルでは,遺伝子解析に関する倫理原則や指針が国によって定められている.まず2000年4月には,ミレニアムプロジェクトの実施に当たって厚生科学審議会先端医療技術評価部会により「遺伝子解析研究に付随する倫理問題等に対応するための指針」(いわゆる「ミレニアム指針」)[5]が作成され,2000年6月には科学技術会議生命倫理委員会が「ヒトゲノム研究に関する基本原則」[6]を策定し,さらに2001年3月には,この「基本原則」を基礎に研究現場で適用されることを目的として「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(2001年3月)(いわゆる「3省指針」)[7]が文部科学省,厚生労働省及び経済産業省によって共通に設けられた.現在,我が国の遺伝子解析研究はこの3省指針に基づき進められている.

診療の場においても,遺伝子解析研究により明らかにされる遺伝学的情報が有効に利用される場面が増加してきている.研究を目的とした遺伝子解析と診療を目的とした遺伝学的検査との間に明確な区別を設けることは必ずしも容易ではないが,遺伝学的検査の適切な臨床応用の施行については,実施に伴っておきることが予想される様々な問題に適切に対応する必要があり,遺伝学的検査に関するガイドラインの策定が強く求められてきた.すでにこれまで日本人類遺伝学会からは「遺伝カウンセリング,出生前診断に関するガイドライン(1995)」[8] ,「遺伝性疾患の遺伝子診断に関するガイドライン(1995)」[9],「遺伝学的検査に関するガイドライン(2001)」[10]が提案され,家族性腫瘍研究会からは「家族性腫瘍における遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン(2000)」[11]が提案されてきた.さらに2001年にはそれらに示された諸原則を包括する形で遺伝医学関連8学会(日本遺伝カウンセリング学会,日本遺伝子診療学会,日本産科婦人科学会,日本小児遺伝学会,日本人類遺伝学会,日本先天異常学会,日本先天代謝異常学会,家族性腫瘍研究会)が「遺伝学的検査に関するガイドライン(案)」(2001)を発表した.また関連して,遺伝子検査受託に関しては社団法人日本衛生検査所協会が「ヒト遺伝子検査受託に関する倫理指針」(2001) [12]を作成しており,日本医師会では第VII次生命倫理懇談会の報告として「遺伝子医学と地域医療」[13]を発表している.

今回,遺伝医学関連学会は,これら学会,団体からのガイドラインをさらに充実させ,我が国の将来の健全な遺伝医療の確立を目指し,改めて診療行為として位置づけられる遺伝学的検査に関するガイドラインを提案することとなった.我々は,最新の遺伝医学的知見の収集について常に研鑚を重ね,遺伝医療において遺伝学的検査が考慮される際に起こり得る倫理的,法的,社会的問題に対して最大の関心を払いつつ,遺伝学的検査が人類の健康と福祉に貢献することを願うものである.遺伝医学関連学会の会員はこのガイドラインを遵守しつつ,遺伝学的検査を臨床の場で実施しなければならない.また,遺伝医学関連学会の会員以外の医学研究機関,医療機関,臨床検査会社,遺伝子解析施設,遺伝子解析の仲介会社,健康関連企業,マスメディアなどにも,このガイドラインを通じて遺伝学的検査のもつ意味を理解し,本ガイドラインの精神とここに示された諸原則を尊重するように呼びかけたい.

なお,本ガイドラインは,今後の遺伝医学及び遺伝学的検査技術の発展を勘案しながら,必要に応じて随時改定する所存である.
遺伝学的検査に関するガイドライン

I. 本ガイドラインの対象

このガイドラインが適用される遺伝学的検査(染色体検査・遺伝生化学的検査・DNA検査)は,ヒト生殖細胞系列[注2]における遺伝子変異もしくは染色体異常に関する検査,あるいはそれらに関連する検査であり,確定診断のための検査,保因者検査,発症前検査,易罹患性検査(いわゆる体質診断を含む),薬理遺伝学的検査,出生前検査,先天代謝異常症等に関する新生児スクリーニングなどを含む.但し,癌などの体細胞に限局し次世代に受け継がれることのない遺伝子変異・遺伝子発現・染色体異常の解析[注2],細菌・ウイルスなどの病原体の核酸検査,および親子鑑定などの法医学的DNA検査は対象としない.

II. 遺伝学的検査の実施

1. 遺伝学的検査は臨床的および遺伝医学的に有用と考えられる場合に考慮され,総合的な臨床遺伝医療[注3]の中で行われるべきである.
(1) 遺伝学的検査を行う医療機関においては,遺伝カウンセリングを含めた総合的な臨床遺伝医療を行う体制が用意されていなければならない.
(2) 遺伝学的検査を行う場合には,その検査がもつ分析的妥当性,臨床的妥当性,臨床的有用性[注4]が十分なレベルにあることが確認されていなければならない.
(3) 遺伝学的検査を担当する施設は常に新しい遺伝医学的情報を得て, 診断精度の向上を図らなければならない.
(4) 遺伝学的検査は試料採取の容易さのため,採血などの医療行為を伴わずに技術的に可能である場合がある.このような場合であっても,遺伝学的検査は,しかるべき医療機関を通さずに行うことがあってはならない.

2.遺伝学的検査及びそれに関連する遺伝カウンセリングなどの遺伝医療に関与する者は,検査を受ける人(以下,「被検者」という),血縁者及びその家族の人権を尊重しなければならず,また,被検者及び血縁者が特定の核型(染色体構成),遺伝子型,ハプロタイプおよび表現型を保有するが故に不当な差別(遺伝的差別)を受けることがないように,また,必要に応じて適切な医療及び臨床心理的,社会的支援を受けることができるように努めるべきである.

3. 遺伝学的検査を実施する場合には,事前に担当医師が被検者から当該遺伝学的検査に関するインフォームド・コンセントを得なければならない.
(1) インフォームド・コンセントを得るための説明に際しては,検査の目的,方法,予想される検査結果,内容(想定される被検者の利益・不利益を含む),精度(特に不可避な診断限界),被検者のとり得る選択肢,実施にあたっての医療上の危険性などについての正確な情報を,遺漏なく,かつ被検者が十分に理解できるよう,わかりやすく説明しなければならない.説明は口頭に加えて,文書を用いて行わなければならない.
(2) 遺伝学的検査を受けるか否かは,それを受ける者の自由意思に基づいて決定されなければならない.担当医師は,説明に当たって,被検者は検査を受けないという選択が可能であること,検査を受けても,途中で中止を申し出ることができること,検査後その情報開示を拒否することもできること,検査を受けないか又は中止を申し出ても,それによる不利益を被ることはないことを説明しなければならない.但し,その場合には遺伝学的検査の結果が得られないことによる医療上の不利益があり得ることについても正確に伝えられなければならない.医療者は被検者の決定を尊重し,それに沿って最善の医療が受けられるよう努力しなければならない.
(3) 未成年者など,自由意思に基づいて決定を行うことが困難な場合には,本人に代わって検査の実施を承諾することのできる地位にある者の代諾を得なければならない.この場合,できる限り被検者本人の理解を得るために努力し,代諾の必要性についての判断は慎重になされるべきである.代諾は,親権者,後見人,成年後見人などの代諾者により行われ,代諾者は被検者の将来にわたる利益を最大限に保護するよう努めなければならない.
(4) インフォームド・コンセントを得る際の説明にあたって,遺伝についての基礎的事項を説明する中で,遺伝学的情報が血縁者間で一部共有されていることに言及し,得られた個人の遺伝学的情報が血縁者のために有用である可能性があるときは,積極的に血縁者への開示を行うべきであることについて,被検者の理解を得るよう,担当医師は努力しなければならない.

4. 遺伝学的検査は次の場合には行わないこともあり得る.
(1) 被検者が遺伝学的検査の実施を要求しても,担当医師が,倫理的,社会的規範に照らして検査が妥当でないと判断した場合,もしくは自己の確固たる信条として検査の実施に同意できない場合は,その理由をよく説明した上で,検査の施行を拒否することができる.但し,自己の信条を理由として検査を行わない場合には,他の医療機関を紹介することが考慮されなければならない.
(2) 治療法または予防法が確立されていない成人期以後に発症する遺伝性疾患について,小児期に遺伝学的検査を行うことは,基本的に避けるべきである.
(3) 将来の自由意思の保護という観点から,未成年者に対する遺伝学的検査は,検査結果により直ちに治療・予防措置が可能な場合や緊急を要する場合を除き,本人が成人に達するまで保留するべきである.

5. 検査のために得られた試料(以下,試料という)は原則として当該検査の目的以外の目的に使用してはならない.
(1) 将来において試料を被検者およびその家族の利益のため,別の遺伝学的検査に用いることが予想される場合には,その時点で予想される遺伝学的検査の内容,試料の保存方法を明確にした上で,あらかじめ試料の保管についてのインフォームド・コンセントを得なければならない.
(2) 保存された試料を新たな遺伝学的検査に用いる場合は,その検査に対するインフォームド・コンセントを新たに得なければならない.
(3) 検査のために得られた試料を研究目的に使用する場合には「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(文部科学省,厚生労働省,経済産業省)[7]を遵守しなければならない.

6. 遺伝学的検査のための試料は厳格に保管し,また個人識別情報及び検査結果としての個人遺伝学的情報はその機密性を保護しなければならない.
(1) 一般医療情報と,特定の個人に連結された遺伝学的情報とは,原則として区別して保管されるべきである.
(2) 個人識別情報及び個人の遺伝学的情報は守秘義務の対象であり,担当医師,遺伝カウンセリング担当者及び医療機関の責任者は,それらが第三者に漏洩されることのないよう厳格に保護,管理しなければならない.
(3) 遺伝学的検査の一部を他の検査機関・施設に委託するときには,試料を事前に匿名化し,個人識別情報を秘匿しなければならない[7,10,12].

7. 遺伝学的検査を担当する医療機関及び検査施設は,一般市民に対し,正しい理解が得られるような適切な情報を提供する必要がある.臨床的有用性[注4]が確立していない遺伝学的検査は行うべきではない.また遺伝学的検査を行うことを宣伝広告するべきではない [4,12].

III 遺伝学的検査の結果の開示

1.被検者は,検査の結果を「知る権利」及び「知らないでいる権利」を有し,いずれの権利も尊重されなければならない.

2.検査結果を開示するにあたっては,開示を希望するか否かについて被検者の意思を尊重しなければならない.得られた個人に関する遺伝学的情報は守秘義務の対象になり,被検者本人の承諾がない限り,基本的に血縁者を含む第三者に開示することは許されない.また仮に被検者の承諾があった場合でも,雇用者,保険会社,学校から検査結果にアクセスするようなことがあってはならない.

3.検査結果の開示にあたっては,担当医師は被検者が理解できる平易な言葉で説明しなければならない.検査が不成功であった場合にはその旨を,また診断が確定しない場合には判明した結果と診断不可能である旨を被検者に伝えなければならない.

4.遺伝学的検査に従事する者は,検査の結果が何らかの差別に利用されることのないように,常に慎重かつ特別な配慮を払わなければならない.

5.担当医師は,検査結果の開示と説明に際して,被検者単独であるよりも被検者が信頼する人物の同席が望ましいと判断する場合には,これを勧めるべきである.

6.検査結果は,被検者の同意を得て,血縁者に開示することができる.被検者の同意が得られない場合,以下の条件をすべて満たす場合に限り,被検者の検査結果を血縁者に開示することが可能である[注5].但し,被検者の同意が得られない場合の開示の可否は,担当医師の判断のみによるのではなく,所轄の倫理委員会などの判断に委ねるべきである.
(1) 被検者の診断結果が血縁者における重大な疾患の発症予防や治療に役立つ情報として利用できること
(2) 開示することにより,その血縁者が被る重大な不利益を防止できると判断されること
(3) 繰り返し被検者に説明しても,血縁者への開示に同意が得られないこと
(4) 被検者の検査結果について,被検者の血縁者から開示の要望があること
(5) 血縁者に開示しても,被検者が不当な差別を受けないと判断されること
(6) 開示は,その疾患に限り,かつ血縁者の診断,予防,治療を目的とすること

IV. 遺伝学的検査と遺伝カウンセリング

1. 遺伝学的検査は,十分な遺伝カウンセリングを行った後に実施する.

2. 遺伝カウンセリングは, 十分な遺伝医学的知識・経験をもち, 遺伝カウンセリングに習熟した臨床遺伝専門医[注6] などにより被検者の心理状態をつねに把握しながら行われるべきである. 遺伝カウンセリング担当者は, 必要に応じて, 精神科医, 臨床心理専門職, 遺伝看護師, ソーシャルワーカーなどの協力を求め,チームで行うことが望ましい.

3. 遺伝カウンセリング担当者はできる限り,正確で最新の関連情報を被検者に提供するように努めなければならない.これには疾患の頻度,自然歴,再発率(遺伝的予後),さらに保因者検査,出生前検査,発症前検査,易罹患性検査などの遺伝学的検査の意味についての情報が含まれる.遺伝カウンセリング担当者は,遺伝性疾患が,同一疾患であっても,その遺伝子変異,臨床像,予後,治療効果などにおいて異質性に富むことが多いことについて,十分留意しなければならない.

4. 遺伝カウンセリング担当者は被検者が理解できる平易な言葉を用い,被検者が十分理解していることをつねに確認しながら遺伝カウンセリングを進めるべきである.被検者の依頼がある場合,又はその必要があると判断される場合は,被検者以外の人物の同席を考慮する.

5.遺伝カウンセリングの内容は,一般診療録とは別の遺伝カウンセリング記録簿に記載し,一定期間保存する.

6. 被検者が望んだ場合,被検者が自由意思で決定できるように,遺伝カウンセリングは継続して行われなければならない.また必要に応じて,臨床心理的,社会的支援を含めた,医療・福祉面での対応について,情報が与えられるべきである.

7. 遺伝学的診断結果が,担当医師によって,被検者の血縁者にも開示されるような場合には(例えば前節III-6),臨床遺伝専門医の紹介など,その血縁者が遺伝カウンセリングを受けられるように配慮する.

8.遺伝カウンセリングは,遺伝学的検査の実施後も,必要に応じて行われるべきである.

V. 目的に応じた遺伝学的検査における留意点

1.発症者を対象とする遺伝学的検査
(1) 遺伝学的検査は,発症者の確定診断を目的として行われることがある.
(2) 発症者の確定診断の目的で行われる遺伝学的検査の場合も,結果的にその情報が,血縁者に影響を与える可能性があることについて,検査前に十分説明し,理解を得ておかなければならない.
(3) 血縁者の発症前診断,易罹患性診断,保因者診断などを行うための情報を得ることを第一の目的として,既に臨床診断が確定している患者に対して,疾患の原因となっている遺伝子変異などを解析することがある.この場合は,得られた情報が適切に血縁者に開示されるか,あるいは利用されることによってはじめて意味のある遺伝学的検査となること,疾患の原因となる遺伝子変異が見出されなくても,本人の臨床診断に影響しないことを,検査の前に被検者に十分説明し,理解を得ておかなければならない.

2.保因者[注7]の判定を目的とする遺伝学的検査
(1) 遺伝学的検査は,家系内に常染色体劣性遺伝病やX連鎖劣性遺伝病,染色体不均衡型構造異常の患者がいる場合,当事者が保因者であるかどうかを明らかにし,将来,子孫が同じ遺伝病に罹患する可能性を予測するための保因者検査として行われることがある.
(2) 保因者検査を行うにあたっては,被検者に対して,その検査が直接本人の健康管理に役立つ情報を得る目的のものではなく,将来の生殖行動に役立つ可能性のある情報を得るために行われるものであることを十分に説明し,理解を得なければならない.
(3) 将来の自由意思の保護という観点から,小児に対する保因者診断は基本的に行われるべきではない.
(4) 保因者検査を行う場合には,担当医師及び関係者は,診断の結果明らかになる遺伝的特徴に基づいて,被検者及びその血縁者並びに家族が差別を受ける可能性について十分に配慮しなければならない.

3.発症予測を目的とする遺伝学的検査[14,15,16]
(1) 発症を予測する遺伝学的検査には,単一遺伝子の変異でほぼ完全に発症を予測することのできる発症前検査と,多因子疾患の罹患性の程度もしくは罹病リスクを予測する易罹患性検査がある.
(2) 発症予測を目的とする遺伝学的検査の対象者は,一般に健常者であるため,厳格なプライバシーの保護及び適切な心理的援助が措置されなければならない.特に就学,雇用及び昇進,並びに保険加入などに際して,差別を受けることのないように,配慮しなければならない.

A.発症前検査
1) 有効な治療法及び予防法の確立されていない疾患の発症前検査においては,以下のすべての要件が満たされない限り,行ってはならない.
(a) 被検者は判断能力のある成人であり,被検者が自発的に発症前検査を希望していること.
(b) 同一家系内の罹患者の遺伝子変異が判明しているなど,遺伝学的検査によって確実に診断できること.
(c) 被検者は当該疾患の遺伝形式,臨床的特徴,遺伝学的検査法の詳細についてよく理解しており,検査の結果が陽性であった場合の将来設計について熟慮していること.
(d) 遺伝学的検査後及び結果が陽性であった場合には発症後においても,臨床心理的,社会的支援を含むケア及び治療を行う医療機関が利用できること.
2) 有効な治療法及び予防法が確立されていない疾患の発症前検査は,前項の要件がすべて満たされている場合に限り,かつ当該疾患の専門医,臨床遺伝専門医,精神医学専門医などを含む複数の医師により,可能な限り,臨床心理専門職,看護師,ソーシャルワーカーなどの協力を得て,複数回の遺伝カウンセリングを行った上で,検査の実施の可否を慎重に決定する.

B.易罹患性検査
1) 多因子疾患などに関する易罹患性検査を行う場合には,検査の感度,特異度,陽性・陰性結果の正診率などが十分なレベルにあることを確認しなければならない.
2) 易罹患性検査に際しては,担当医師は,遺伝子(DNA)変異が同定されても,その発症は疾患により一様ではなく,浸透率や罹患性に対する効果(寄与率)などに依存すること,また,検査目標とする遺伝子に変異が見出されない場合であっても発症する可能性が否定できないことなどについて,被検者に十分に説明し,理解を求めなければならない.(II-1-(2)を参照)[注8]

C.家族性腫瘍に関する検査
1) 易罹患性検査のうち,家族性腫瘍に関する検査に関しては,関連遺伝子の多様性に配慮した,慎重な対応がなされなければならない.
2) 家族性腫瘍の易罹患性検査に関しては,本ガイドラインに加えて,家族性腫瘍研究会の「家族性腫瘍における遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン」[11]に準拠する.
3) 家族性腫瘍の易罹患性検査を行うにあたっては,検査の感度,特異度,陽性・陰性結果の正診率などが十分なレベルにあることが確認されていなければならない.(II-1-(2)を参照)

4.薬物に対する反応性の個体差を判定することを目的とする遺伝学的検査[注9]
薬物代謝酵素の遺伝子多型検査による薬剤感受性診断は,直接治療に役立て得る情報であり,有用性が高いと考えられるが,この情報が遺伝的差別などに誤用されることのないよう,他の目的の遺伝学的検査と同様の注意が必要である.

5.出生前検査と出生前診断
(1) 妊娠前半期に行なわれる出生前検査及び診断には,羊水,絨毛,その他の胎児試料などを用いた細胞遺伝学的,遺伝生化学的,分子遺伝学的,細胞・病理学的方法,及び超音波検査などを用いた物理学的方法などがある.
(2) 出生前検査及び診断として遺伝学的検査及び診断を行うにあたっては,倫理的及び社会的問題を包含していることに留意しなければならず,とくに以下の点に注意して実施しなければならない.
(a) 胎児が罹患児である可能性(リスク),検査法の診断限界,母体・胎児に対する危険性,副作用などについて検査前によく説明し,十分な遺伝カウンセリングを行うこと.
(b) 検査の実施は,十分な基礎的研修を行い,安全かつ確実な検査技術を習得した産婦人科医により,またはその指導のもとに行われること.
(3) 絨毛採取,羊水穿刺など,侵襲的な出生前検査・診断は下記のような場合の妊娠について,夫婦からの希望[注10]があり,検査の意義について十分な理解が得られた場合に行う.
(a) 夫婦のいずれかが,染色体異常の保因者である場合
(b) 染色体異常症に罹患した児を妊娠,分娩した既往を有する場合
(c) 高齢妊娠の場合
(d) 妊婦が新生児期もしくは小児期に発症する重篤なX連鎖遺伝病のヘテロ接合体の場合
(e) 夫婦のいずれもが,新生児期もしくは小児期に発症する重篤な常染色体劣性遺伝病のヘテロ接合体の場合
(f) 夫婦のいずれかが,新生児期もしくは小児期に発症する重篤な常染色体優性遺伝病のヘテロ接合体の場合
(g) その他,胎児が重篤な疾患に罹患する可能性のある場合
(4) 重篤なX連鎖遺伝病のために検査が行われる場合を除き,胎児の性別を告げてはならない.
(5) 出生前診断技術の精度管理については,常にその向上に務めなければならない.
(6) 母体血清マーカー検査の取り扱いに関しては,厚生科学審議会先端医療技術評価部会出生前診断に関する専門委員会による「母体血清マーカー検査に関する見解」[17],日本人類遺伝学会倫理審議委員会による「母体血清マーカー検査に関する見解」[18],及び日本産科婦人科学会周産期委員会による報告「母体血清マーカー検査に関する見解について」[19]を十分に尊重して施行する.
(7) 着床前検査及び診断は,極めて高度な知識・技術を要する未だ研究段階にある遺伝学的検査を用いた医療技術であり,倫理的側面からもより慎重に取り扱わなければならない.実施に際しては,日本産科婦人科学会会告「着床前診断に関する見解」に準拠する[20,21].

6.新生児マススクリーニング検査

(1) 新生児マススクリーニング検査は,新生児の先天性疾患を早期に診断し,早期治療により,発病率,死亡率を低下させることを目的として行う.
(2) 新生児が,もしこの検査を受ける機会を失えば,発病,死亡などの不利益を被る可能性があることから,担当医師は,この検査の意義について両親に積極的に説明し,検査実施についての同意(代諾)を得たうえで,この検査を実施することが望ましい.担当医師は新生児マススクリーニング検査が遺伝学的情報を扱う検査であることを十分に認識し,スクリーニングによって発見・診断された新生児の両親に対する適切な遺伝カウンセリングを考慮しなければならない.

おわりに

遺伝医学関連学会はこの「遺伝学的検査に関するガイドライン」を制定したが,このガイドラインの遵守を期待できる範囲は,基本的には,遺伝医学関連学会の会員内に止まる.このガイドラインに反して,非倫理的,非社会的,または不適切と考えられる遺伝学的検査が行われても,それが会員以外の者による遺伝学的検査であれば,このガイドラインのみではそうした行為を規制し,防止することはできない.したがって,今後は,日本遺伝子診療学会が要望したように[22],また他国でも指摘されているように,遺伝学的検査そのものの公的機関による評価体制,監視体制を整える必要がある[23].とくに,遺伝学的検査の分析的妥当性,臨床的妥当性,臨床的有用性が十分なレベルにあることを確認するための公的審査機関の設置,及び常に新しい情報の提供と診断精度の向上を図るため,検査後の追跡調査をふくめ,公的機関による精度管理の実施などが必要である.このことにより,被検者は遺伝学的検査から医学的恩恵を得ることができる一方で,不必要な,また無意味な遺伝学的検査をできるだけ排除することが可能になる.もとより遺伝学的情報の守秘義務の堅持も重要な課題であり,これに対する十分な認識と対応が不可欠である.こうした配慮の下で遺伝学的検査が実施されなければ,必要な遺伝学的検査であっても,例えば遺伝的差別を怖れて,検査を受けない人がでてくる可能性もある.このガイドラインを基礎にして,わが国が,法整備も含めて,人権の保護の上に,より実効的な遺伝学的検査体制が確立されることを望む.

提 言 

(1) 遺伝学的検査の分析的妥当性,臨床的妥当性,臨床的有用性が十分なレベルにあることを確認するため,公的審査機関の設置が必要である.

(2) 遺伝学的検査を担当する施設は,常に新しい情報を得て,診断精度の向上を図るため,検査後の追跡調査をふくめ,公的機関などによる一定の(精度)管理の下に置かれるべきである.

(3) 遺伝カウンセリングを含めた総合的な臨床遺伝医療の充実のためには,臨床遺伝専門医や遺伝カウンセラーの養成が不可欠であり,制度の確立・教育の充実が必要である.

(4) さらにゲノム研究など先端医学研究の臨床応用とその成果を国民に還元するための基盤整備の一環として遺伝医療体制の充実の重要性を再認識し, 財政的措置を含む科学技術・保健医療政策が推進されるべきである.
参考資料
[1]「遺伝医学の倫理的諸問題および遺伝サービスの提供に関するガイドライン」WHO, 1995(松田一郎監修,福嶋義光編集, 日本語訳:小児病院臨床遺伝懇話会有志)
[2]「遺伝医学と遺伝サービスにおける倫理的諸問題に関して提案された国際的ガイドライン」WHO, 1998(松田一郎監修,福嶋義光編集, 日本語訳:松田一郎,友枝かえで)
[3]遺伝医学における倫理的諸問題の再検討」(WHO/HGN/ETH/00.4) 2002 (松田一郎監修,福嶋義光編集,日本語訳:日本人類遺伝学会会員有志)
[4]「企業・医療施設による遺伝子検査に関する見解」日本人類遺伝学会,日本臨床遺伝学会,日本遺伝子診療学会,日本小児遺伝学会,日本先天代謝異常学会, 家族性腫瘍研究会. 2000年5月
[5]「遺伝子解析研究に付随する倫理問題等に対応するための指針」厚生科学審議会・先端医療技術評価部会. 2000
[6]「ヒトゲノム研究に関する基本原則」科学技術会議生命倫理委員会・ヒトゲノム研究小委員会. 2000
[7]「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」文部科学省・厚生労働省・経済産業省.2001(http://www2.ncc.go.jp/elsi/)
[8]「遺伝カウンセリング・出生前診断に関するガイドライン」日本人類遺伝学会. Jpn J Hum Genet 40 (1), 1995
[9]「遺伝性疾患の遺伝子診断に関するガイドライン」日本人類遺伝学会. Jpn J Human Genet 40 (4), 1995. J Hum Genet 45 (2), 2001
[10]「遺伝学的検査に関するガイドライン」日本人類遺伝学会. J Hum Genet 45 (2), 2001
[11]「家族性腫瘍における遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン」家族性腫瘍研究会, 2000(http://jsft.bcasj.or.jp/guideline_top2000.htm)
[12]「ヒト遺伝子検査受託に関する倫理指針」社団法人日本衛生検査所協会. 2001(http://www. jrcla.or.jp/news.html)
[13]「遺伝子医学と地域医療」についての報告,日本医師会,第VII次生命倫理懇談会,2001(http://srv02.medic. kumamoto-u.ac.jp/dept/pediat/jshg/jshg-frame-sankousiryou.htm)
[14] "Promoting Safe and Effective Genetic Testing in the United States - Final Report of Task Force on Genetic Testing", Holtzman NA, Watson MS eds. Johns Hopkins Univ Press, 1998(要旨の日本語訳は日本人類遺伝学会のホームページ〈http://www6. plala.or.jp/jshg/〉に収録)
[15] "Secretary's Advisory Committee on Genetic Testing: Enhancing the Oversight of Genetic Tests: Recommendations of the SACGT". April 19, 2000〈http://www4.od.nih.gov/oba/ sacgt.html〉[日本語訳は日本人類遺伝学会ホームページ〈http://www6.plala.or.jp/jshg/〉に掲載]
[16]"Guidelines for the Molecular Genetics Predictive Test in Huntington's Disease", World Federation of Neurology/Inter-national Huntington Association. Neurology 44: 1533-1536, 1994
[17]「母体血清マーカー検査に関する見解」厚生科学審議会先端医療技術評価部会・出生前診断に関する専門委員会. 1999〈http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1107/h0721-1_18.html〉
[18]「母体血清マーカー検査に関する見解」日本人類遺伝学会倫理審議委員会. J Hum Genet, 1998
[19]「母体血清マーカー検査に関する見解について」寺尾俊彦・周産期委員会報告. 日本産科婦人科学会雑誌 51: 823-826, 1999
[20]「ヒトの体外受精・胚移植の臨床応用の範囲」についての見解. 日本産科婦人科学会. 1998
[21]「着床前診断」に関する見解. 日本産科婦人科学会. 1998
[22]「遺伝子検査の妥当性と有用性に関する評価機構の早期設置を要望する緊急アピール」.日本遺伝子診療学会.2002
[23]Editorial: Getting a Grip on Genetic Testing. Nature Medicine. 9:147, 2003



[注1]研究については3省(文部科学省,厚生労働省,経済産業省)の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」,検査受託に関しては社団法人日本衛生検査所協会の「ヒト遺伝子検査受託に関する倫理指針」があるが,フィットネスクラブなどと提携し,肥満になりやすいかどうかの体質診断と称して遺伝子解析を請け負うベンチャー企業の活動を規制する枠組みは今のところない.今後,国として遺伝学的検査に関して何らかの方針を立てることを強く要望するものである.
[注2]遺伝子変異には生殖細胞系列遺伝子変異と体細胞遺伝子変異がある.前者は個体を形成するすべての細胞に共通して存在し,遺伝学的情報として子孫に伝えられ得る変異であり,末梢血液,皮膚線維芽細胞などを用いて検査することが可能である.後者は受精後もしくは出生後に体細胞において後天的に獲得される遺伝子変異であり,主として悪性腫瘍などにみられる変異である.この場合は直接,その腫瘍化した細胞,もしくは組織を用いて検査することが必要である.
[注3]総合的な臨床遺伝医療とは医師による情報提供だけではなく,できるだけ専門の異なる複数の医師,さらには医師以外のコ・メディカルのメンバーを含めたチーム医療として対応することを意味している.多くの遺伝性疾患についてはまだ適切な治療法が開発されていない状況にあるので,臨床遺伝医療は,場合によっては,フォローアップを含む一生にわたる支援体制に基づくケアとして位置づけられなければならないことにも留意すべきである.
[注4]分析的妥当性とは検査法が確立しており,再現性の高い結果が得られるなど精度管理が適切に行われていることである.臨床的妥当性とは検査結果の意味付けが十分になされていること,すなわち,感度,特異度,陽性的中率などのデータがそろっていることである.臨床的有用性とは検査の対象となっている疾患の診断がつけられることにより,今後の見通しについての情報が得られたり,適切な予防法や治療法に結びつけることができるなど臨床上のメリットがあることである.
[注5]仮に血縁者の被害防止に直接役立つ情報であっても本人の承諾がなければ情報を開示することは許容されないとする少数意見があった.
[注6]現在,わが国には,日本人類遺伝学会と日本遺伝カウンセリング学会が共同で「臨床遺伝専門医」を認定する「臨床遺伝専門医制度」がある.また,医師のみならず,看護師,心理職などコメディカル・スタッフも含めた遺伝医療従事者の養成に力を注ぎ,利用者の依頼に応じていく必要がある.
[注7]ここでいう保因者とは遺伝子変異あるいは染色体構造異常を有しているものの,現在及び将来にわたって発症しない者をいう.常染色体劣性遺伝病やX連鎖劣性遺伝病,染色体均衡型構造異常,及び浸透率の低い常染色体優性遺伝病ではこのような状態が起こり得る.遅発性の常染色体優性遺伝病で遺伝子変異は有しているものの,まだ発症に至らない者については,ここでは未発症者という表現を用いる.
[注8]肥満へのなりやすさや飲酒に対する影響などを調べるいわゆる体質診断とよばれるものも,多因子疾患の易罹患性検査と位置づけて対応すべきである.但し,こうした検査については,検査の感度,特異度,陽性・陰性結果の正診率などについて説得力のある結果がでていないのが現状である.また,それらが検証された後でも,この検査は医療行為として行われるべきであり,例えばフィットネスクラブなど医療機関以外で行われることがあってはならない.
[注9]薬剤の効果や副作用に個人差があることはよく知られている.最近,いくつかの薬物代謝酵素の遺伝子多型がこの個人差に関係していることが明らかにされてきた.薬剤を投与する前に遺伝学的検査を行い,個々人の薬剤の有効性や副作用について予知できるようになれば,患者に対して大きな便益が期待できる.したがって,今後そうした遺伝学的検査の必要性が高まることが予想される.
[注10]夫婦の希望が最終的に一致しない場合は,妊婦の希望が優先されるという意見がある. 遺伝学的検査に関連する用語の解説

易罹患性検査(疾患感受性検査,素因検査,体質検査)
易罹患性検査とは単一遺伝子病に比べて,浸透率あるいは個々の遺伝子の表現型に及ぼす効果がそれほど高くない疾患(癌,心臓病,糖尿病など)についての予測的遺伝学的検査を指す.易罹患性検査は確率的なので,結果が陽性でも,罹患するとは限らないし,陰性でも罹患しないとは言い切れない.臨床応用には,この検査の感度,特異度,陽性の的中率,陰性の的中率などが問題になる.

遺伝カウンセリング
遺伝カウンセリングとは,遺伝性疾患の患者・家族またはその可能性のある人(クライエント)に対して,生活設計上の選択を自らの意思で決定し行動できるよう臨床遺伝学的診断を行い,遺伝医学的判断に基づき遺伝予後などの適切な情報を提供し,支援する医療行為である.遺伝カウンセリングにおいてはクライエントと遺伝カウンセリング担当者との良好な信頼関係に基づき,さまざまなコミュニケーションが行われ,この過程で心理的精神的援助がなされる.遺伝カウンセリングは決して一方的な遺伝医学的情報提供だけではないことに留意すべきである.

遺伝学的検査
遺伝学的検査(genetic testing)とは遺伝性疾患を診断する目的で,ヒトのDNA,RNA,染色体,タンパク質(ペプチド),代謝産物を解析もしくは測定することである.この目的には確定診断のための検査,保因者検査,発症前検査,易罹患性検査,薬理遺伝学的検査,出生前検査,新生児スクリーニングなどが含まれる.通常,純粋に研究目的で行われるヒトゲノム・遺伝子解析や生化学的解析,細胞病理学的解析,及び法医学的検査は含まない.

遺伝学的情報
遺伝学的情報とは遺伝学的検査により,DNA,RNA,染色体,タンパク質(ペプチド),代謝産物などから直接得られる医療情報の他,家族歴などからそれらの存在を推定し得る家系情報も含まれる.

遺伝サービス
遺伝サービスとは遺伝医学および遺伝性疾患に関係した健康サービスを意味する.これには遺伝学的情報や遺伝学的検査,遺伝学教育,遺伝カウンセリングへのアクセス,患者支援団体への紹介などが含まれる.

遺伝子
DNA(デオキシリボ核酸)分子中の主にタンパク質の合成に関与する機能単位.DNAはアデニン(A),シトシン(C),グアニン(G),チミン(T)の4塩基が一定の配列で並ぶ.DNA各鎖のAとT,GとCが水素結合し安定した二重らせん構造をとっている.ヒトの場合,塩基数は32億で,このうち約5%がRNAに転写され,タンパク質の合成に関与する.これが(構造)遺伝子であり,その数は約3万個と推定されている.

遺伝子治療
遺伝子治療とはベクター(運び屋)に組み込んで,もしくはそのまま外来遺伝子を生体に導入し,目標とする細胞,または組織で意図したタンパク質を合成させて,治療目的を達成する手技のことをいい,現在は遺伝病よりむしろ癌の治療に応用されている.

遺伝子多型
ある遺伝子座において,塩基配列の異なるアレル(対立遺伝子)が複数存在し,それが集団中で1%以上の頻度で存在するとき,多型と定義される.普通,その遺伝子多型が直接遺伝病の原因と結びつくことはない.したがって,頻度が1%以下で単一遺伝子病の原因となるような変異は多型には含めないが,1塩基置換による遺伝子多型(single nucleotide polymorphisms: SNPs)が多因子病の発症リスクと関連することがあり,現在,多因子疾患の病態解明のために遺伝子多型解析研究が進められている.

遺伝子変異
遺伝子内におきた塩基の変化,塩基置換(他の塩基と置き換わる),欠失(塩基が抜け落ちる),挿入(他の塩基が入り込む)など様々な変異が起き,その結果,表現型に異常をきたすことがある.変異によってアミノ酸の置換を伴うようなミスセンス変異や,ポリペプチドが合成されなくなるようなナンセンス変異などがある.遺伝子変異は,狭義では疾患に直接関係する病的なものを指すが,広義では遺伝子多型も含めることがある.そのため,本ガイドラインでは遺伝子多型を特に「DNA変異」とも記述した.

遺伝性疾患
遺伝性疾患(genetic disease)は単一遺伝子病(メンデル遺伝病),染色体異常,多因子(遺伝)疾患の3群に分類するのが一般的である.病因となる遺伝子変異や染色体異常が親から子に垂直伝達される疾患群(inherited disease)だけではなく,親に遺伝子変異がなくても配偶子形成期に遺伝子変異が生じ,遺伝子変異をもつ配偶子が受精し遺伝性疾患の個体が発生する場合もある.後者の場合,遺伝子変異は親から子に垂直伝達されてはいないが遺伝性疾患である.家族性疾患という表現もあるが,これは必ずしも遺伝性を意味しない.遺伝性疾患のこともあるが,感染,催奇形因子などの外的要因が関与する場合もある.

遺伝的差別
個人またはその家族のゲノムや遺伝子が,実際にまたは予測的に正常ゲノムや遺伝子とは異なっているという理由だけで差別を受けることと定義されている.変異遺伝子により顕在化した障害をもつために受ける差別は障害者差別であり,遺伝的差別とは異なる.

核型(カリオタイプ)
個体もしくは細胞中の染色体構成のこと.たとえば,正常女性の核型は,46,XXで,ダウン症候群男性は,47,XY,+21と表記される.核型表記の国際命名法 (ISCN95)がある.

逆選択
保険を掛ける人が,保険業者に自己のハンチントン病などの遺伝病の発症リスクが高いなどの遺伝学的情報を開示せずに高額の生命保険に加入した場合,保険数理的に公平性を崩す可能性が生ずる.これを逆選択と呼ぶ(進化に関する遺伝学的用語である reverse selection も逆選択と訳されるが,全く関係がない事柄なので注意が必要).

出生前検査(診断)
遺伝学的出生前検査(診断)とは,絨毛,羊水,羊水細胞などを用いて胎児の遺伝学的または先天的障害の有無を知る目的で行われる染色体検査,生化学的検査,細胞学的検査などである.絨毛は妊娠10~11週に,羊水・羊水細胞は妊娠15~17週に採取するのが一般的である.他に胎児血や胎児組織などを採取して検査する場合もある.

浸透率
浸透率とは変異遺伝子を有している者のうち,その変異遺伝子が関与する疾患を発症している者の割合をいう.出生時にすでに発現する疾患での浸透率と,遅発性に発症する疾患での年齢依存性浸透率とがある.後者の場合の浸透率は生涯リスク(ライフタイム・リスク)と同義語になる.

生殖細胞系列
受精卵細胞の遺伝子型・核型を保持している受精卵由来の系列の細胞群.遺伝子型や 核型が変化したがん細胞などは含まない.

生命倫理
学際的環境における様々な倫理学的方法論を用いながら進める生命科学とヘルスケア(道徳的展望,意思決定,行為,政策を含む)の道徳的な諸次元に関する体系的研究(ジョージタウン大学編集;生命倫理百科事典)と定義され,個人の尊厳,自律の尊重,仁恵,被害防止,正義(公正)の原則が含まれる.

着床前診断
着床前診断とは体外受精が成功し,卵割が進んだ3日後の胚から1ないし2個の細胞を採取し,染色体検査,または遺伝子解析を行う手技で,この方法で目的とする受精卵を選出し,それを母体子宮内にもどして,着床(妊娠)させる.

発症前検査
ある特定の遺伝病,たとえばハンチントン病のような遅発性の常染色体優性遺伝病で,浸透率が極めて高い(ほぼ100%)疾患について,その家族歴をもつ健常者を対象に発症前に遺伝子検査を行うこと.但し,正確な発症年齢や病状の重症度などは予測できない場合が多い.(易罹患性検査の項を参照のこと)

ハプロタイプ
相同染色体の片方に隣接して局在する一連のアレル型.近接したアレル型は連鎖することが多い(連鎖不平衡).

母体血清マーカー検査
妊婦血清中のαフェトプロテイン,フリーβヒト絨毛性ゴナドトロピン(あるいはトータルヒト絨毛性ゴナドトロピン),非抱合型エストリオールなどを測定し,それらの測定結果と採血時の正確な妊娠週数を基にして,胎児が21トリソミーや18トリソミーなどに罹患している確率を算出する検査である.但し,確定診断を行うためには出生前染色体検査が必要である.

遺伝医学関連学会合同倫理委員会構成員(五十音順)

荒木 勤 日本医科大学医学部産婦人科学
位田隆一 京都大学大学院法学研究科
上田國寛 京都大学化学研究所 
衛藤義勝 東京慈恵会医科大学小児科学
大澤真木子 東京女子医科大学医学部小児科学
小野正恵 東京逓信病院
黒木良和 神奈川県立こども医療センター 
小杉眞司 京都大学医学部附属病院遺伝子診療部
佐藤孝道 聖路加国際病院
菅野純夫 東京大学医科学研究所 
鈴森 薫 名古屋市立大学大学院 生殖・遺伝学
玉井真理子 信州大学医学部保健学科
恒松由記子 国立成育医療センター
成澤邦明 東北大学名誉教授
新川詔夫 長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設
野澤志朗 慶応義塾大学医学部産婦人科学
福嶋義光 信州大学医学部社会予防医学
前川真人 浜松医科大学臨床検査医学
松田一郎 熊本大学名誉教授
三輪史朗 冲中記念成人病研究所
Darryl Macer Eubios Ethics Institute

作業部会構成員(五十音順)

位田隆一 京都大学大学院法学研究科
小野正恵 東京逓信病院
玉井真理子 信州大学医学部保健学科
恒松由記子 国立成育医療センター
福嶋義光 信州大学医学部社会予防医学
松田一郎 熊本大学名誉教授

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